

(香りの旅ではないのですが、
記録をしておきます。)
長崎の外海(そとめ)エリアを訪れてきました。
昔から私は、宗教というものに
興味がありました。
私自身が無宗教だからかもしれませんが、
人はなぜ何かを信じるのか
信じることで心が救われるとは
どういうことなのか、
関心を持っています。
かくれキリシタンについても、
なんとなく興味があったのですが、
今年、遠藤周作の『沈黙』という本を読み、
映画を見て、
なぜ、そこまでして信じ続けたんだろう、と
疑問が湧きました。
その歴史が残る土地を訪れてみたいと思い、
今回の旅を計画しました。
今回訪れたのは、
長崎県の外海(そとめ)エリア。
以前は、外海町、だったのですが
2005年に、長崎市に編入されました。
外海は
2018年に世界遺産に登録された
潜伏キリシタンゆかりの地です。
長崎駅からは車でおよそ50分ほど。
道中は山ばかり。
今はトンネルが整備されているので行けますが、
当時は山を越えるしかなく、
長崎の中心地からは船で移動していたそうですよ。
yahoo地図から。
ピンが、外海エリアです。

かつて日本ではキリスト教が禁じられ、
厳しい弾圧が行われていました。
それでも信仰を捨てなかった人々は、
人目につかない場所へと移り住みます。
そのひとつが、この外海エリア。
そして、五島列島もまた、
潜伏キリシタンの地として知られています。
地図を見ても分かるとおり、
外海エリアから五島列島は近いですよね。
3,000人ほどが、外海から五島列島に
移った、と言われています。

かくれキリシタンを曽祖母に持つ方に
お話を伺う機会がありました。
外海エリアは、今でも、
およそ半数がカトリック信者なのだそう。
教会ではミサが行われています。
その方が何度も名前を口にしていたのが、
「ドロ様」。
正式には、フランス人宣教師・ド・ロ神父の
ことです。

ドロ様そうめん。
お土産にもその名前が残っています。
ド・ロ神父は、キリスト教を伝えるために
日本へ渡来。
最初は横浜に住み、
その後、潜伏キリシタンが多く暮らす外海へ
移りました。
しかし、そこで目にしたのは、
人々の、あまりにも厳しく貧しい生活。
そこで彼は、
信仰も大切だが、
まずは人々が生きていけるように
しなければならない
と考えたそうです。
この考えにも、深く共感します。
精神が元気になるためには、
まず、身体、暮らしが元気でないと
心の余裕がなくなりますものね。
ド・ロ神父は
教会を建てるだけではありませんでした。
女性たちが働ける場を整えるため、
今で言う授産施設のような場所を作り、
そこには50人くらいの女性たちが
生活していました。
小麦を栽培し、パンやパスタを作ったり
当時はまだ珍しいクレソンやいちごなどを栽培し
長崎市内の外国人居留地で販売。
外国人居留地までは船で行ったそうですよ。
当時、長崎には外国人が多く暮らしており、
西洋の食文化への需要がありました。
そこで得たお金を、
また地域の人々へ還元していったそうです。
⇩ こちらは、ド・ロ神父自身や、親の思想

ド・ロ神父の父親の考えに、
とても共感しました。
家や土地、財産など、いつ失われるかわからないものよりも
どんな社会の変動の中でも生きていゆく力。
現代の社会においても
通じるものがあるように思います。
ド・ロ神父は、フランス貴族の出身。
日本へ来る際には、
現在の価値で12億円ほどとも言われる財産を、
親が持たせてくれたそう。
そのお金で、
教会や、上記の授産施設、薬局などを
立てました。
当時の外海の方は、
「お金はありませんが労働力ならあります」と
町の人が団結して、施設や畑を作ったそうです。

こういう道具も、ド・ロ神父の手作り。

ド・ロ神父は、日本に来てから一度もフランスに
帰っていません。
74歳で亡くなるまで
外海で35年間を過ごしました。
ド・ロ神父自身も、
集団生活している女性たちも、
普段の生活はとても慎ましく質素なものでした。
しかし、女性が結婚する際には、
お米を炊いて皆でお祝いをしたという話も
残っています。
当時、お米はとても貴重なもの。
本当に大切なものにはしっかり使い、
普段は質素に過ごす。
そこにも、共感です。
今回、お話を伺って印象的だったのが、
「みんなで仲良くしなきゃしょうがないじゃない(笑顔)」
外海には、今でも
潜伏キリシタンの頃の信仰を
続けている方たちがいます。
かくれキリシタン、と呼ばれ、
キリスト教をベースに、
日本独自に変化した信仰文化のこと。
250年もの間、
神父や教会がない中で信仰を受け継いだため、
日本の仏教や文化と混ざり合い、
独自の変化を遂げているものです。
例えば、
祈りの言葉が日本語っぽく変化していたり、
観音像をマリア様に見立ててお祈りをしたり。
今でも、
かくれキリシタンの形での信仰を
先祖から引き継いでいる方もいて、
それを周りも理解しているとのこと。
仏教も、キリスト教も、かくれキリシタンも、
個人の信仰は自由であっていい。
みんなで仲良くしなきゃしょうがないじゃないの、
本当にその通りだと思いました。

↑ かなりの階段を登ってたどり着いた
大野教会。
厳しい土地で、支え合いながら暮らし、
静かに祈りを受け継いできた人たち。
外海を訪れて
信仰、について、
少し理解が深まった気がします。
そして、この自由な時代。
思想も自由、交通の便も自由。
せっかく自由な時代に生まれたのだから
その自由を享受することも
私たちができることなのだ、と思いました。
思い立ったが吉日。
パワーをたくさんもらいました。
次は、五島列島も訪れたいです。